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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)7308号 判決

両事件原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 中吉章一郎

同 荒井重隆

亡乙山太郎遺言執行者 昭和六三年ワ第七三〇五号事件被告 杉内信義

両事件被告 乙山春子

右訴訟代理人弁護士 杉内信義

同 木下良平

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  昭和六三年ワ第七三〇五号事件

1  亡乙山太郎の昭和六二年一二月七日の公正証書(東京法務局所属公証人鰍澤健三作成昭和六二年第一九五四号)による遺言は無効であることを確認する。

2  被告乙山春子は、原告に対し、別紙物件目録記載一ないし三の土地の共有持分三分の一につき、東京法務局北出張所昭和六三年一月八日受付第四三一号の所有権移転登記を、昭和六二年一二月一六日遺贈を原因とする所有権移転登記に更正登記手続をせよ。

二  昭和六三年ワ第七三〇八号事件

被告乙山春子は、原告に対し、別紙物件目録記載一ないし三の土地の共有持分三分の一につき、東京法務局北出張所昭和六三年一月八日受付第四三一号の所有権移転登記を、昭和六二年一二月一六日贈与を原因とする所有権移転登記に更正登記手続をせよ。

第二事案の概要

一1  被告乙山春子(以下「被告春子」という。)は、亡乙山太郎(以下「太郎」という。)の妻であり(当事者間に争いがない。)、原告は、昭和四一年以降太郎と同棲生活を続けていた者である。

太郎は、昭和六二年一二月一六日、死亡した(当事者間に争いがない。)。

2  太郎は、昭和六二年四月七日、公正証書(東京法務局所属公証人鰍澤健三作成昭和六二年第三三〇号、以下「旧公正証書」という。)により、太郎所有の別紙物件目録記載一ないし三の土地(以下「本件土地」という。)の共有持分各三分の一の原告に遺贈し、その余の財産のすべてを被告春子に相続させる旨の遺言をした(当事者間に争いがない。)。

3  遺言者を太郎とする第一の一の1掲記の公正証書(以下「本件公正証書」という。)が存するが、その内容は、旧公正証書による遺言を撤回し、太郎の遺産のすべてを被告春子に相続させるというものであり、被告乙山は本件公正証書による遺言により遺言執行者に指定された者である。本件公正証書による遺言の執行は終了していない。(以上の事実は、当事者間に争いがない。)

4  本件土地について、被告春子のため東京法務局北出張所昭和六三年一月八日受付第四三一号の所有権移転登記がされている(当事者間に争いがない。)。

5〔昭和六三年ワ第七三〇五号事件〕

原告は、本件公正証書の不成立又は無効原因の存在(後記二の1、2参照)を理由として本件公正証書による遺言の無効確認を求めると共に、被告春子に対し、旧公正証書による遺言によって遺贈された各三分の一の共有持分権に基づき、本件土地につき第一の一の2掲記の更正登記手続を求める。

〔昭和六三年ワ第七三〇八号事件〕

原告は、本件公正証書による遺言が無効であることを前提に、被告春子に対し、死因贈与契約(後記二の3参照)により太郎から取得した本件土地の各三分の一の共有持分権に基づき、本件土地につき第一の二掲記の更正登記手続を求める。

二  争点(1と2は両事件共通、3と4は昭和六三年ワ第七三〇八号事件のみ)

1  本件公正証書が成立したか否か。

被告らは、「太郎は、公証人鰍澤健三に対し、昭和六二年一二月七日、入院中の東京医科歯科大学付属病院(以下「付属病院」という。)において本件公正証書の作成を嘱託し、鰍澤公証人は、民法九六九条所定の方式に従って本件公正証書を作成した。」と主張するのに対し、原告はこれをすべて否認した上、「鰍澤公証人も立会証人木下良平も、昭和六二年一二月七日に付属病院に来ておらず、太郎に面接していない。仮に、鰍澤公証人が同病院において太郎に面接して本件公正証書を作成したとしても、民法九六九条一ないし四号に違反するものである。」と主張する。

2  本件公正証書が無効か否か。原告の主張する無効原因の概要は、次のとおりである。

(1) 太郎は、昭和六二年一二月七日当時、胃癌による高度の衰弱により、目はほとんど見えず、意識は低下して仮眠状態に陥っており、原告を通じなければ意思を表明できない状態であり、意思能力が欠如していた。

(2) 鰍澤公証人は、本件公正証書による遺言が旧公正証書による遺言を撤回するという重要なものであるにもかかわらず、太郎に対し、撤回の理由について全く確認しなかった。したがって、本件公正証書は太郎の真意に基づくものということはできず、錯誤により無効である。

(3) 旧公正証書及び本件公正証書の立会証人であり遺言執行者である被告乙山と本件公正証書の立会証人である木下良平は、被告春子の訴訟代理人となり、被告春子のために証人として証言をしているが、両名のこれらの行為は条理と信義則とに照らして許されないものである。したがって、両名が立会証人として関与した本件公正証書は、条理と信義則とにより無効である。

3  太郎と原告との間に、昭和六二年四月七日又は同年一二月八日に、本件土地の共有持分各三分の一について死因贈与する旨の契約が成立したか否か。

4  太郎と原告との間の昭和六二年一二月八日の死因贈与契約が書面によるものということができるか否か。

第三争点に対する判断

一  争点1(本件公正証書の成立)について

1  《証拠省略》によれば、次の各事実を認めることができる。

(1) 太郎は、昭和六二年三月二三日から六月二三日までの間、付属病院に入院して胃癌の治療及び手術を受けたが、容体が悪化して、同年一二月三日、同病院に再度入院した。太郎は、第一回の入院中である同年四月七日、第二の一の2記載のとおり、鰍澤公証人に嘱託して旧公正証書による遺言をした。

(2) 被告杉内は、太郎から遺言書の作成に関する委任を受け、遺言の内容についての相談にものった上、旧公正証書による遺言の立会証人になり、その遺言執行者に指定されていた弁護士であるが、昭和六二年一二月四日、太郎の四女秋子の夫である丙川竹夫(以下「竹夫」という。)から、太郎が遺言の書換えを希望しているので入院中の太郎を訪ねて欲しい旨の依頼を受けた。同被告は、翌一二月五日午前一〇時三〇分ころ、付属病院の病室に太郎を訪ね、太郎の意向を確認したところ、太郎は、自分の残す財産のすべてを被告春子にやって欲しい旨及び現金二〇〇〇万円を原告に支払って欲しい旨を述べた。

(3) 被告杉内は、太郎の病状からして遺言書の作成を急ぐ必要があると考え、太郎の意向の確認後すぐに旧公正証書の作成者である鰍澤公証人に電話で、旧公正証書による遺言を撤回し、太郎の遺産のすべてを被告春子に相続させる趣旨の公正証書の作成を依頼した。鰍澤公証人は、被告杉内の依頼を了承し、昭和六二年一二月七日午後三時に付属病院に赴くこととした。この電話連絡の際、被告杉内は、鰍澤公証人に対し、太郎は病気が重く公正証書に署名することは困難であろう旨を伝えた。

(4) 鰍澤公証人は、昭和六二年一二月七日の午前中に、第二の一の3記載の内容の本件公正証書の原稿を作成した。鰍澤公証人は、太郎が署名できない場合のことを慮り、「遺言者は病気のため署名できないので本職が代って署名し、」との文言を原稿に入れておいた。すなわち、遺言者、立会証人及び公証人の署名捺印を除いては本件公正証書の原本と同一の原稿が作成された。

(5) 鰍澤公証人は、昭和六二年一二月七日午後三時ころ、女性書記と共に付属病院に到着し、被告杉内とその入口で出会い、入院面会簿に、被告杉内が自分の氏名・住所と鰍澤公証人の氏名を、女性書記が鰍澤公証人の住所と自分の氏名・住所を記入した上、七階の太郎の病室に向かった。七階において、竹夫及び被告杉内が立会証人となることを依頼していた木下良平弁護士と出会い、右の五名が太郎の病室に入ったところ、太郎の長女夏子が太郎に付き添っていた。原告は、このころ所用で外出しており、付属病院内にいなかった。

(6) 鰍澤公証人はベッドに横になっている太郎に対して、「旧公正証書による遺言を変更したいそうだが、どのように変更したいのか。」と尋ねたところ、太郎は、「全財産を妻にやるようにしてもらいたい。」旨答えた。そこで、鰍澤公証人が(4)の原稿を読み上げ、太郎に対し、太郎の意思と食い違いがないかどうかを確認したところ、太郎は、「それで結構です。」と答えた。

鰍澤公証人は、太郎の病状からして署名することができないものと判断して、代筆を申し出たところ、太郎が「代わって書いて欲しい。」と述べたので、鰍澤公証人は、太郎の氏名を代筆した。そして、捺印についても、太郎から依頼されて、実印を受け取り、鰍澤公証人が捺印した。立会証人の被告杉内と木下弁護士は、それぞれ自ら署名捺印した。なお、太郎の実印は、太郎と原告との住居に太郎が保管していたが、昭和六二年一二月五日、太郎に言われて原告が付属病院に持ってきたものであり、同日、竹夫が原告から交付されていたものである。

そして、鰍澤公証人が最後に自ら署名捺印して本件公正証書を完成させた。以上の本件公正証書の作成手続に要した時間は、約二〇分である。

2  1の(1)ないし(6)の事実によれば、太郎は、鰍澤公証人に対し、昭和六二年一二月七日、入院中の付属病院において本件公正証書の作成を嘱託し、鰍澤公証人は、民法九六九条所定の方式に従って本件公正証書を作成したものと認めることができる。本件全証拠によっても、太郎が旧公正証書による遺言を撤回して本件公正証書による遺言をすることにした理由又は動機は明らかではないが、このことによって右の判断を左右することはできず、他に右の判断を左右するに足りる証拠はない。

公証人は、遺言者が自ら署名することが可能か否かを具体的事実に即して判断する権能を有しているものと解すべきところ、一の(1)で認定した太郎の病状(太郎は本件公正証書作成日の九日後に当たる昭和六二年一二月一六日に死亡した。)及び同(6)で認定した太郎との会話のやりとりに照らして、鰍澤公証人の判断は適切なものと認めることができ、民法九六九条四号の要件に合致するものというべきである。本件公正証書の原稿に予め「遺言者は病気のため署名できないので本職が代って署名し、」との文言が記載されていたことによって左右されるものではない。

また、太郎の捺印については、1の(6)で認定したとおり、鰍澤公証人によって、太郎の意思に基づきその面前で即時にされたものであるから、民法九六九条四号の要件に合致するものというべきである。

二  争点2(本件公正証書の無効原因の有無)について

1  争点2の(1)(意思能力の欠如)について

証人丁原冬子及び原告本人は、争点2の(1)の原告の主張に沿う供述をし、甲二八及び三二の一にも同旨の記載部分があるが、これらは甲四六の二(看護日誌)の反対趣旨の記載部分及び一の1の(2)、(6)で認定した事実に照らして信用することができず、他に太郎の意思能力の欠如を認めるに足りる証拠はない。

《証拠省略》によれば、太郎は、付属病院に再入院した昭和六二年一二月三日から本件公正証書による遺言をした同月七日までの間、時によっては傾眠状態となり医師や看護婦からの問いかけに対してはっきりした応答をしないこともあり、ろれつが回りにくいこともあったが、全体としては医師や看護婦からの問いかけに対して適切に返答しており、身体の状態について自ら質問することもあり、意識は明瞭であったと認めることができ、一の1の(2)、(6)の事実を併せ考慮すると、太郎は、本件公正証書による遺言をした当時、意思能力を有したものと認めるのが相当である。

2  争点2の(2)(錯誤)について

《証拠省略》によれば、鰍澤公証人は、太郎に対し、旧公正証書による遺言を撤回する理由を確認していないことが認められる。しかし、旧公正証書による遺言を撤回する理由の確認の有無と本件公正証書による遺言が真意に基づくものであるか否かとは関係がないものといわざるを得ず、争点2の(2)の主張は主張自体失当である。

3  争点2の(3)(条理・信義則違反)の主張も主張自体失当である。

三  争点3(死因贈与契約の成否)について

1  太郎と原告との間で昭和六二年四月七日に本件土地の共有持分各三分の一について死因贈与契約が成立したことを認めるに足りる証拠はない。

《証拠省略》によれば、太郎は、昭和六二年四月初め、原告との間で本件土地の共有持分を太郎の死後原告に残すことを相談していたこと、その法的処理を被告杉内に委任し、その進言に従って同月七日に本件土地の共有持分各三分の一を原告に遺贈する旨の旧公正証書による遺言をしたこと(太郎がこの遺言をしたことは当事者間に争いがない。)を認めることができ、この遺言のほかに死因贈与契約が成立したものと認めることはできない。

2  太郎と原告との間で昭和六二年一二月八日に本件土地の共有持分各三分の一について死因贈与契約が成立したことを認めるに足りる証拠はない。

証人丁原冬子、同中吉章一郎及び原告本人は、原告の委任を受けた中吉弁護士が、昭和六二年一二月八日午後七時ころから八時三〇分ころまで、太郎の病室において、原告及び原告の妹の戊田と共に太郎と話し合ったが、その際、太郎は、「旧公正証書による遺言のとおり原告に本件土地の共有持分各三分の一をやって欲しい。」と述べ、その太郎の申述を中吉弁護士が「聴取書」(甲五)としてまとめた旨を供述し、甲五にもその趣旨の記載部分がある。しかしながら、右の三名の供述によっても、中吉弁護士は事情聴取の大部分を原告及び戊田からしているのであって、また「聴取書」作成後に太郎に対してその記載を読み聞かせることをせず、内容が正確であることの確認を太郎から得ることをしていないのであるから、これらの供述及び記載部分から、太郎の原告に対する死因贈与契約の申込みの意思表示があったことを認めることはできない。

四  以上の次第で、原告の請求は、その余の争点について判断するまでもなくいずれも理由がない。

(裁判官 田中豊)

〈以下省略〉

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